日本とフィリピンを舞台にしたメスティソたちの物語   乙川優三郎著 『R.S. ヴィラセニョール』 新潮社

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主人公は、フィリピンから日本に移り住んできた男リオと日本人女性である君枝を父母に持ち、染色の道を歩んでいる女性レイ(鈴)。彼女が名刺に書いている長い名前だとレイ・市東・ヴィラセニョール。

この小説は、千葉県の御宿海岸にスタジオを持ち、染色(型をデザインし、布を染める仕事)といういかにも日本的な世界の中で葛藤するレイを描くところから始まる。彼女を親身になって助けるのが近くに住んでいる草木染め職人のロベルト(彼はメキシコと日本とのメスティソ)。レイとロベルトが努力して傑作を生み出す過程が一つの見所。この二人の関係が軽くて、自然で、でも真面目で、とても素敵。御宿の街がとても魅力的に描かれていて、行ってみたくなる。

後半になると、フィリピンでの父とその一族の秘密をレイが知ることになり、ストーリーが急転する。ここでのフィリピンの描き方がかなり激しくて、「本当ですか!」と言いたくなるが、そこがこの小説のクライマックスだろう。

いくつか、素敵な言葉を小説から引用。

四季折々の眺めや、物の哀れや、散り花の風趣を味わう非凡さを例に挙げて、過剰に日本を特化し、美化する傾向が長く列島に普遍している。細やかな季節感に溢れた日本の風土に原色の多色使いは映えないと先人に教えられ、人々は信じてきたが、鮮やかな紅葉を愉しみ、紺絣に赤い襷掛けで働いてきたのも日本人である。どう見ても渋いとは言えない長襦袢の柄と色遣い、歌舞伎や錦絵、唐傘や千代紙、江戸紫や黄八丈なども日本が生んだものである。現職の映えない国ではないとレイは思うが、渋い色を信じてやまない人たちにリベラルな考え方は通じない。色を見る目がない、と笑われるのが落ちである。

こう反発したレイは、鮮やかな色彩の作品にチャレンジするのだが、ここでロベルトがレイに紹介するのがメキシコのコチニール。たまたま、この小説を読んでいるときに行った益子の工房で、コチニールで染織した布を見たのがこれ。サボテンに寄生する小さな虫から採れる色素が原料というのだから希少なものなのだろう。きれいでした。

日本を飛び立ってまもなく機内サービスの夕食を終えた乗客たちは眠るか、スマートフォンを見るか、酒を飲むかしていた。エコノミークラスを埋めているのは二、三十代の若い男たちで、カジュアルな服装のせいか商用の渡航には見えない。英語留学という年齢でもないだろう。一様に微笑を浮かべ、そこそこ行儀よく、声は小さく、贅沢な旅行のはじまりに自足している。そこが不気味でもあった。人との深い関わりや尊い目的のための労苦を面倒がって、本当の友人や恋人を作らない。自身のうちにすべてがあると信じて、他者に無用のレッテルを貼り続ける。立ち向かえば手に入る大きな可能性や美しい世界を夢見ない。たぶんそんな人種であろう。無理に時分を追い立てずとも、出すものを出せばジェット機がたちまち別世界へ運んでくれる。

こういう辛辣な日本、日本人批判も、小説のあちらこちらにちりばめられているのも、この小説の面白いところ。